2011年1月27日木曜日

葬儀社と顧客満足度

従兄弟の長男が19歳の若さで他界。本日は葬儀参列のため葬儀社へ。


ここ数年、葬儀参列の機会が突如増加した。正月前の喪中はがきの枚数がそれを如実に物語っている。と同時に、葬儀社の提供するサービスを依頼者側・出席者側の立場から考える機会も増えた。

現在、死亡人口が増加傾向にあるなか、葬祭業界では、新興企業が従来の慣習を打ち破り格安プランを提供する影響などから、価格下落が続き、市場規模は横ばいから微減傾向で推移している。今日の葬儀会場は、こうしたなか業績を年々向上させている業者でもある。

この業者の売りはサービス向上のための「喪家アンケート」である。しかしこのアンケート、何に役立つのか想像もつかない。なにしろ悲しみに暮れている家族が、冷静に「葬儀サービス」を振り返ることなどなどあり得ないからだ。

葬儀を取り仕切る経験など一生のうち一度か二度あるかないか。はっきり言って何をすればよいかは葬儀社の言いなりに過ぎない。

しかし参列者は別だ。ある意味冷静さを持ち合わせている。今日の葬儀ではとにかく「カメラマン」と「アナウンス」と「全体の式進行の大げささ」が鼻についてしかたなかった。悲しみに暮れる家族や故人の友人に向かって無神経にたかれるフラッシュとシャッター音。ここが泣き所だと言わんばかりに感情移入するアナウンス。そして故人を思い出すためと称したイメージ映像。

正直、強く抗議したかった。悲しみに暮れる従兄弟夫妻になりかわって一言でも文句を言いたかった。しかしそんなことをしても、故人や従兄弟夫妻が喜ぶわけでもない。この葬儀社を使うことは絶対にないという思いだけを強く持った。

「顧客の声を訊くこと」こそが商品やサービスを向上させ、企業業績を上向かせる方法であると常々、仕事において語ってきている。しかし「顧客とは誰か」をわからずに訊くことが、どれほど無意味なことかこの事例からぜひ理解してもらいたい。

「顧客」=「お金を払う人」ではない場合もあるのだ。誰の何のためにサービスを提供しているのか。それを定めることができなければ、「顧客の意見を訊く」という行為が暴力になる場合もある。

葬儀社は、故人を愛しむすべての人たちの気持ちを昇華させてあげなければならない。それを邪魔する装飾は全て取り払い、シンプルに徹することだ。目立ってはならないのだ。黒子に徹し、故人とのこれまでの日常に区切りをつける場を淡々と組み立てることなのだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿