昨晩、大学時代の先輩とその上司の3人で呑みに出かけた。この上司は、東証一部上場企業の支社長であり、仕事のできる人。かなり責任感も強く、頼まれると断れない誠意の人でもある。
彼は今、小学校のPTA会長を引き受けている。そこで「子供会」の加入率の低下に悩まされているらしい。3~4年前に会長職を引き受けた時点で5割近くあった加入率が2割に下がり危機感を持っているとのこと。彼自身、要因分析を行い、この地域は小学生を持つ家庭の7割が転勤族で、コミュニティへの帰属意識が低いことが要因だと仮定している。
確かに、転勤族の帰属意識が低いことは事実だろう。しかし、そもそも「子供会」の加入率の低さと、地域コミュニティへの帰属意識の低さは因果があるのだろうか。
ここで考えるべきは「子供会」の役割が変化してきたという事実であろう。確かに我々30~40歳代の世代が小学生を迎えた時代、子供会はあらゆる課外活動の中心的な組織だった。当時は学校=地域コミュニティが一体化していた記憶も強い。
しかし現代はどうだろうか。学校が終われば、塾があり、習い事があり、スポーツクラブがあり、それぞれの所在地は地域コミュニティ外に所在してもいる。昔は学校の友達が、学校以外の友達と同義だったが、今ではそれぞれの行動・場所ごとに友達が違っているのだ。つまり、我々も含め日常の活動範囲が地域コミュニティに収まらなくなってしまったのである。
こうした現状にあって、「子供会」に過去と同じ機能を求めても意味はない。求められる機能自体を、子供や家族の習慣や動静にあわせて変化させなければならないのだ。しかしここで、彼が「子供会」の機能自体を見直すことが出来るかが問われてくるのだが、この「責任感」が見直しの邪魔をするようになるのだ。
何故なら、「責任感」というのは、ある与えられた仕事について最後までやり遂げようとする思いであり、それ自体を疑ってかかるという根本的な解決にはつながらないからだ。
社会は常に変化している。その変化に合わせて、既存の概念を「疑う」という姿勢が無ければ、これからの社会で勝ち残っていくことはできないだろう。それはビジネスでも同じだ。
アインシュタインは「同じ行動を続けながら、違う結果を求めるのは狂気の沙汰である」という言葉を残している。もし「売上の低下」に悩んだり、「子供会加入率の低下」に悩んでいるのであれば、これまでとは違う行動をとる必要があるということなのだ。
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