東北地方太平洋沖地震の被災者の皆様、そしてそのご家族と関係者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。そして、被災地にて救援に尽力いただいております自衛隊、警察、消防、自治体関係者の皆様に心より感謝申し上げます。
地震発生から一週間、私自身が出来ること考え続けています。まず個人としては義援金を。そして居住地の市営・県営住宅の無償提供について、自治体・政治家に働きかけを行っています。一歩進んで、地元地域に7万件も存在する空き家の開放が出来ないかも模索中です。もちろん一時的ではなく、被災者の皆様が本当の意味で安心を取り戻すまで、考え行動し続けたいと思います。
さて本日3月18日、武田邦彦中部大学教授(内閣府原子力委員会専門委員、同安全委員会専門委員)のブログを読み、危機的状況下での「情報」の伝え方について強く考え、ぜひここで記録・記憶しておきたいと思い記述いたします。
武田氏のブログには、放射線の健康被害の影響について、「福島に住む赤ちゃんを持つ親御さん」の立場で現状が分析され、今後の対応についての結論が記述されています。専門家の知見を、福島に住む普通の親御さんが最も欲する「情報」に加工して提供しているのです。
このブログを読んで、私はこの一週間、テレビと新聞で報道されている「情報」が、単なる伝える側の論理、そして報道に携わる人間が「国民の知る権利」という錦の御旗を振りかざし、ただただ情報をよこせと収奪し垂れ流しているだけの意味のない記号だということに気づきました。
本来報道機関は、こうした危機的状況において公的役割を担う重要な立場にあります。しかし実際にそこから伝えられる「情報」は、単なる衝撃的な「絵」にすぎず、政府のプロパガンダのようでもあります。「何が一番必要ですか?」と無神経に尋ね、「被ばく量は通常の100倍程度で、健康に影響はありません、などと繰り返す毎日。
情報を欲している人たちが誰なのかも明確に定義せず、ただ集め、ただ垂れ流しているのです。もし私自分が家族と別離した被災者だったら、家族がどこにいるのかがもっとも知りたい「情報」です。いまミルクが足りない赤ちゃんを抱えて避難しているならミルクがどこにあるかを知りたい。福島原発の30㌔以内に住んでいるなら、家族に対する被爆の危険性や避難先の情報こそを欲するはず。
つまり「情報」とは、それを必要とする人たちを具体的に想定出来て初めて「情報」たり得るのです。
残念ながら報道機関の皆様はこうした「情報」を扱っているとは思えません。私が見る限りソーシャルネットワーク(ツイッター、ブログ、フェイスブック)を使っている一般人こそが「情報」の意味を理解し、本来届けなければならない人たちに必要な「情報」を届けようと努力されています。
いまこそ報道機関は、様々な「情報」を欲する方々の立場に立って、お互いが分業し、情報を収集・加工・伝えるべきではないでしょうか。そうでなければ報道機関などという看板を下ろすべきだ。
「情報」は誰のためのものなのか。まさに自分がその立場たって考えれば、おのずと答えは出るはず。そこここの国民だれもが、普通に考えて行動していることこそが、「情報」を扱うべき人たちに欠けているものであることを自覚してほしい。
しかし同時に、私たちはこうした道具(ソーシャルネットワーク)を手に入れたこの時代に感謝すべきなのかもしれない。政治家や報道機関が、これまでの現実をひきずりながら行動している様を横目に、本当の現実を生きることができるのだから。
だからこそ、支援の手を緩めないようにしましょう。だからこそ、一生懸命「情報」を集め、顔が見えるあの人達に、その「情報」を届けましょう。
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